セザンヌについて。ガスケ著『セザンヌ』:要約と感想


セザンヌと言ったら、この果物が載っている静物画ですよね。

パリのオルセーで見ました。圧巻です。

今回、大学の課題で、ガスケという人が書いた『セザンヌ』という本を読みました。
もったいないので(?)、そのレポートを記事にします。

要約

セザンヌは、ヴィクトワール山の麓にあるエックスという町に生まれた。彼の同級生たちによれば、セザンヌは極めて秀才だった一方で、内気で物思いに耽る、多少とっつきにくい生徒であった。「感受性がむき出しなくらい繊細」で、古典文学に対する関心も高かった。彼の野生的な感受性—この劇的な感覚ゆえに、彼は周囲も自分と同じような内面世界を持っていると思い込んでいて、人々が観劇や熱狂ぶりをひた隠しるするのはなぜだろうと考えていた。青春期からの友人であるゾラはセザンヌのデビューに対して、「若い頃から彼は、ピトレスクな古いこの街に興味を持ったりした自分が恨めしかった。自分を基礎づけているロマン主義的な癌に激怒したのだ」と語っている。セザンヌがエックスでは息が詰まりそうになり、1861年22歳にしてパリへ移るが、美術学校の試験に失敗。プロヴァンスの空気に触れれば元気が取り戻せるだろうと、彼は自分に言いきかせていた。再び自然に向かって仕事がしたかった。芸術の使命は自然を模倣することではなく、表現することなのだ。その後、パリとエックスを行き来して制作を行った。この上なく敏感な感受性ともっとも理論的な理性の闘争がセザンヌの生涯におけるライトモチーフであり、彼の全てである。
 
セザンヌは、芸術は自然に並行している一つの調和であると言うし、自然を経て、古典主義に戻りたいとも言うが、それ自体が理論に傾倒した発言でもあって、彼は同時に「実は絵を描いている時には何も考えていない」のである。つまり、対象を歪めるのではなく、それをできる限りしぜんな理論に即して表現するのである。自然というものは、敬意をもって接すれば、自分が何を意味しているのかを、適当な工夫をもって言ってくれるのだ。また、その自然を正しく置き直すには、色彩しかない。セザンヌはルーブルにあるアングルの「泉」に対して、アングルには線しかないと言う。それに対してセザンヌが重視するのは色彩である。ヴェロネーゼの絵は全て色彩で出来ている。ヴェロネーゼの下地にあるねずみ色が、全ての繋ぎになって力強さと軽快さを与えている。ねずみ色を描いたことのないうちは画家とは言えない。彼は印象主義を美術館の芸術のような、長続きするのもにしたかった。セザンヌにとって古典主義とは、人間に限界を設けるような古典主義ではなく、自然に当たってプッサンを造り直したようなものである。

セザンヌの「理性」と「自然」

本書は第一部でセザンヌの生涯を青春、パリ、プロヴァンス、老後の四章に分けて語り、第二部では、モチーフ、ルーブル、アトリエについてセザンヌとのインタビュー形式で書かれている。第二部におけるインタビューの様子は、ガスケの記録したセザンヌの(ものとされる)言葉を声として響かせるフィクションである(蓮実, 2008)。個人的にセザンヌに共感するのは、彼がルーブルにあるクールベの絵について、「何も見えないじゃないか……何というひどいかけ方だ……」(p.312)と言っている部分だ。実際にルーブルに行った際には、上の方にかかっている絵はよく見えなかったし、光の反射で絵がよく見えないものも多かった。第二部のルーブルの節でセザンヌはヴェロネーゼの「カナの婚礼」を絶賛しているが、現在それはモナリザのある部屋にかかっている。したがってその絵には、ルーブルで最も人々の視線を受けづらい位置に配されている絵だろう、という印象を受けたように記憶している。

小嶋(2014)は、セザンヌの自然と芸術家の並行という考えから、自然と人間の意識が融合した神との合一というキリスト教神秘主義の思想構造を読み取る。この洞察の中で興味深いのは、セザンヌは「『ー』なる『神』との合一」(小嶋, 2014, p.223)という止揚的な立場をとって、主客の二元論から脱しようとしているという指摘である。セザンヌは彼の根本にある古典主義的な理性と、そこに現前する自然との相克をテーマとしてきたことからも、この指摘は有意であるといえる。この相克の過程はやはり、「色彩」をもって語られるべきであり、それはグリーンバーグ(1988)のいう‘pure’(p.314)という概念からアプローチしたい。セザンヌのいうところの「プッサン」や「ルーブル」は古典主義であり人間中心主義的なモチーフであり、それに対置しているのが、「自然」や「色彩」であると考える。つまり、ロマンチシズムにおいて絵画は対象の表象であり、そこで用いられる色は対象の固有色(local color)を表象したものである。それに対して、セザンヌの色彩とは‘pure color’つまり、自然を見て、感じたものを「表現」したことで生まれる「色彩」なのである。このプロセスがセザンヌをはじめとした印象派といわれる画家たちに共有されているかもしれないということは、常に留意してしかるべきだろう。

参考文献

ガスケ. 2009. 『セザンヌ』. 與謝野文子訳. 岩波書店.
小嶋洋介. 2014. 「風景と根元―自然の存在学のために: セザンヌにおける『風景』―」.
人文研紀要.(78), pp.209-235.
蓮実重彦. 2008. 『ゴダールマネフーコー: 思考と感性とをめぐる断片的な考察』. NTT出
版.
Greenberg, C. 1988. The Collected Essays and Criticism, Volume 2: Arrogant
purpose, 1945-1949. Ed. O’Brian, J. Chicago: University of Chicago Press.

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